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伊丹十三監督作品 『静かな生活』 を観る

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伊丹十三監督作品 『静かな生活』を観た。
『静かな生活』は大江健三郎の連作小説。ちなみに、大江の妻は伊丹の妹ということで、伊丹は大江の義兄ということになる。
その大江の小説を映画化したのが本作品となる。
実は、本作品、興行的には失敗したらしい。
確かにその他の有名な伊丹監督作品と比べると、確かに、全体的に盛り上がり感に欠ける感がある。
淡々とストーリーが進んでいく、まさに「静かな」作品と言えるかも。

ただ、私的には、中々の佳作だと思った。
淡々と緩やかに流れる日常生活の中にも様々なドラマがあるということを感じさせてくれた。
私は、『静かな生活』の原作を読んだことはないが、少なくとも映画作品を観る限り、
作家の父、心優しい母を持つ裕福な家庭の物語。主人公のマーちゃん(佐伯日菜子)には音楽の才能に恵まれながらも障害者である兄イーヨー(渡部篤朗)がいる。
妹であるマーちゃんの目線から見た、障害者である兄との生活が、ほのぼのとしたタッチで描かれてゆく。
が、しかし、一見ほのぼのとした生活の中で彼ら兄妹が遭遇していく事件は、意外に生々しいものが多い。
少女に対して猥褻行為をはたらく常習犯(渡辺哲)の捕りもの劇がまず、第一に遭遇する事件となっているが、コミカルに進展していくこの捕りもの劇も、渡辺演じる常習犯が少女に対して猥褻行為をはたらくシーンは少々、本作品全体を通じて感じられるほのぼのとしたトーンにそぐわないほど、結構生々しい。
また、本事件の中で、妹の幼いころの記憶がフラッシュバックするシーンが短く挿入されているが、これは、障害者である兄から性的悪戯を受けているシーンだった。
猥褻事件による被害者が出、パトカーの周りの野次馬の中に飛び込んで行った妹が最も心配したことは、ひょっとしたら、自分の兄イーヨーがまさかその加害者であったのではということである。そうではなかったと後に知った妹は、涙ながらに兄を抱きしめその安堵を示す。
人間の「性」の問題を生々しく扱っているところは、大江作品らしいと感じたものの。

ストーリーは、オーストラリアに長期滞在することになった父母の留守中に起こる出来事が中心に進んでゆく。父母の留守中、障害者である兄の面倒を見るのは妹のマーちゃん。
”エネルギーを発散させるために”、イーヨーには水泳でも習わせたらという父の提案により、イーヨーは妹の付き添いで水泳を習いに行くことになる。
スイミングスクールで出会った、非常に熱心な水泳コーチ新井君(今井雅之)に出会うことになる。
この出会いが、本映画でのクライマックスとなる事件へと繋がっていく。
障害者であるイーヨーに対して、極めて熱心に懇切丁寧に水泳を教える新井君。
マーちゃんは、その熱心なコーチについて、国際電話での父とのやりとりの中で話すのだが、新井という名前を聞いた父は驚き、娘に対して彼とは絶対に一人で会うということがないよう、きつく忠告する。
実は新井は父の教え子だった。後にマーちゃんは、父の友人夫婦から、新井はある保険金目当ての殺人事件での容疑者とされたという過去持つ男だということを知る。
また、その過去の事件をきっかけに父が書いた小説(主人公のモデルが新井)が、父と新井との関係を複雑にしてしまったことも知る。

その小説は、言葉で自分の気持ちをうまく表現できない無口で不器用な青年(モデルは新井)が、兼ねてより強く思いを抱いている女性を衝動的に絞殺してしまうというものだ。一輪の白い花を手に、思いを抱く女性が自転車で通る田舎道を待ち伏せている青年。通りがった女性の目の前に道端の木陰から忽然と現れた物言わぬ青年。暗い目をした青年が立ちふさがる状況に動転した女性は恐怖を感じ必死に逃れようとする。青年も方も必死で彼女を捕らえようとする。道端の雑木林に引きづり込まれた女性は助けを求めて泣き叫ぶ。上着を乱暴に剥がされ、胸がはだけながらも断末魔の叫び声を上げ続ける女性。助けを求め暴れ続ける女性を何とか制止しようと、青年は彼女の首に手をかける。人を殺めてしまったことに茫然となる青年。そんな中、こちらに向かってくる車(トラック)の音が聞こえてくる。田舎道のど真ん中に打ち捨てられたように横たわっている自転車(女性の乗っていた自転車)とバックを道の中央からのけるために、トラックから年老いた男が一人出てくる。道の脇に自転車とバックを無造作にどけると、道端の雑木林から物音が聞こえる。怪しんだ男は、懐中電灯を照らしながら雑木林の方に歩を進める。見つかってしまった青年は必死の雄たけびを上げながら、男に飛びかかるが、逆に懐中電灯で顔をぶたれ、うめきながらうずくまってしまう。半裸の女性を横目で見やりながら、事態を把握した男は、青年に言い放つ。「何だお前、まだヤッてもいないじゃないか。だめだな~何やってんだ。人生お終いだぞ」。泣き叫ぶ青年。自分がしでかしたことに動転し泣きやまぬ青年に対し、男は、「俺が何とかしてやるから、もう行け」と言い放つ。無我夢中でその場を立ち去り駆けてゆく青年。青年が立ち去ったことを確認し、絞殺された半裸姿の若い女性を死姦し始める男。。。が、事態はすぐに知られるところとなり男は自警団風(?)の連中に追いかけられ、果ては廃墟と化した建物に追いつめられ、自殺する。形的には男は青年の身代りになったわけだ。少々長くなったが、この劇中劇も人間の性を生々しいまでに表現している。
この父の小説のストーリーを父の友人夫妻から聞いたマーちゃんは、「いまの話をきくと、父は、イエスキリストの磔を自己流に発展させたように感じますけど」などと言っているが、かなり無理があるのでは、と思わざるを得ない。大江の原作を読んでいないので、あくまでの本映像作品を観ただけでの感想だが、キリストの自己犠牲の話になぞらえるのは乱暴な気がした。絶望した五十男が、一人の青年の罪を、人生をチャラにすべく、私がお前の身代りになって恩寵を与えるのだ?!少なくとも本劇中劇の映像を見た限りで、そのような解釈をすることはちゃんちゃらおかしい。

Anyways,…ストーリーは続く。

途中、スイミングスクールでのイーヨーの儚くも甘い恋(お天気お姉さんを演ずる緒川たまきとの)の場面もありながらも、新井がマーちゃんに対して抱いている特別な感情が、場面を追うごとに着実に描かれ、そしてクライマックスとなる事件へと発展していく。

完全にネタばらしするのも何なので、この辺りで止めておくが、
改めて、本作品では、ほのぼのとした流れの中で、幾人もの豪華キャストが時には優しく時にはコミカルな好人物の役柄を演じている中で、主人公である兄妹の生活が描かれていくのであるが、そこで扱われる事件の内容は極めてディープで、生臭いものである。
作品の基調としてある、ほのぼのとした雰囲気と扱われる内容の生々しさのギャップに面白みを感じた作品だった。

あと、その他印象的だったことを二つほど。

その一、伊丹作品に出てくる宮本信子は、いつでも圧倒的な存在感がある。本作品では脇役(重要な脇役の一人ではあるが)だが、十分過ぎる存在感。
その二、渡部篤朗は、演技の幅が広い俳優だと改めて感じた。本作品では障害者である兄イーヨー役をうまく演じている。実は、渡部はこの作品で日本アカデミー賞新人賞と優秀主演男優賞をダブル受賞したとのこと。初めて知った。改めて、彼、なかなか良いと思いました。
by GF777 | 2010-07-22 00:00 | 過去投稿記事の移行


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