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『悲しみよ こんにちは』 フランソワーズ・サガン

フランソワーズ・サガン著 『悲しみよ こんにちは』 1954年(昭和29年)

『悲しみよ こんにちは』 フランソワーズ・サガン_e0208346_22481272.jpg新潮文庫の朝吹登水子訳を読む。
過去何度か読みかけて、そのままになっていて、読みかけの気持ち悪さを払拭するために、今回しっかり最後まで読んでみた。

この明るさは何だろう?しばしばキーワード的に登場する、「太陽」、「海」。
南仏のビーチが目に浮かぶようなイメージの中で、十七歳のセシルによる、父親とその新しい恋人との仲を引き裂くための画策が進行していく。秩序と調和と静けさを重視する知的なアンヌ人生観をセシルは受入れられず、友達のような父親とのそれまでの人生を真っ向から否定する存在としてアンヌを怖れる。セシルの策略は功を奏し、結果、アンヌ(父親の新しい恋人)を間接的ながらも死に追いやることになる。

「悲しみよ こんにちは」というタイトルは、”良心の呵責”になど苛まれることのなかった十七歳の私、「太陽と、海と、笑いと、恋」しかなかった青春時代への”さよなら”を意味するのだと思う。
それを、悲しみへの”こんにちは”という形で表現したところに、当時十八歳の早熟なるサガンの凄さ、恐ろしさを感じざるを得なかった。

セシルが、常日頃から冷淡ともいえる冷静さを装うアンヌに対して、初めて生命力溢れる表情を見出したのは、父親の浮気現場を発見した時。結婚の約束までしていた”最後”の恋人による裏切り。苦悩にゆがむアンヌの表情にアンヌは残酷にも生き生きとしたものを感じる。

また、恋人のように付き合っていたシリルについてアンヌは「私は彼をみつめた。私は彼を決して愛したことはなかったのだ。私は彼を善良で、魅力的だと思ったのだ。私は、彼が私に与えた快楽を愛したのだった。けれども、私は彼を必要としない。」と言いのけてしまう。

シビれるほどの残酷さ。

南仏の太陽と海、そして死。

なのに、なぜだか軽やかで明るい。まさに「こんにちは」って感じなのである。

カミュの『異邦人』と比べると強烈なコントラストを感じざるを得ない。

恐るべき小説。
by gf777 | 2011-07-17 22:46 | 読書


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